2006年 05月 16日
結局、自分のペースでしか歩けない。 自分のタイミングでしか、咲けない。 自己嫌悪や反省をすることがよくあります。 それは大体、「あんなことを言ってしまって、傷つけたんじゃないだろうか?」とか、 「あの態度、こういう風に思われてしまったんじゃないだろうか?」とか、 「もっとこうするべきだったかなぁ?」とか、 「あの時、あの人は、こういう気持ちだったのかもしれない。もっとそれを汲み取るべきだったんじゃなかろうか」 とか、 つまりは、 「誰かを傷つけたのではないか?」 「迷惑かけたのではないか?」 というような対人関係的(?!)事柄で、自己嫌悪したり反省したり、要するに、落ち込むことが多いです。 でもこの間フト、気づいてしまいました。 私のそれは、実は、本当に相手を想ってのことではないのかもしれない・・・と。 迷惑をかけたことそのものよりも、 「迷惑をかけたやつ、と私自身が思われる事」を、懸念して、落ち込んでいるのではないか?と。 なんて、くだらない人間なんでしょう?私って。 小さいなぁ・・・。 でも、そんな風に、「他人に嫌われたくない。できれば、よく想われたい、最悪でもニュートラルに想われたい」と想ってしまう、そんな小さい人間なのさ、私は・・・ と、あきらめて受け入れたら、 逆に、どう想われるかとかはどうでもいいや、と心が軽くなりました。 できれば、いい人でありたいし、 どんな人にも優しくて、 どんな時も、誰に対しても感謝を忘れない、そんな人でありたい。 けれど、なかなかその通りでいられない時もあって、 でも、それも、仕方が無いと言うか、それが私というか。。。 完璧は無理だけれど、その都度その都度ではいつも、一生懸命生きているからまぁいいか、なんて、思ったりしました。 結局、自分以外の何者にもなれないわけで、 自分以外の何かになろうとした時、色んな苦しみが生まれる気がします。 自分に甘いのはよくないと、今まで思っていたけれど、 自分のダメな部分を許せていない時って、実は人のことも許せなくて、とても厳しい目で見ていたりする気がします。 自分が自分のペースで歩くことを許した時、 人が、その人自身のペースで歩くことを、優しい目で見られる気がします。 自分が自分のダメなところも、「まぁねぇ、人間だから完璧な人なんていないし、そんなもんだよね、」と許せると、 人の「ん?」と言う部分も、「まぁねぇ、人間だもの、誰だって完璧な人なんていないし、誰だって失敗もするし、過ちも犯すよねぇ」と、温かく接することが出来る気がします。 にんげんだもの By 相田みつを と言うことですね・・・。(↑名言!!)
by sinfoo
| 2006-05-16 00:32
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